<ダービー特別企画> 私の思い出のダービー [実況アナ!]
2013/05/22(水) 16:38
 いよいよダービーです。今年は80回目ということで例年になく盛り上がっている感じがします。そこでラジオNIKKEIの社員に「あなたの『思い出のダービー』は、どのレース?」と質問したところ、以下のような回答をいただきました。やはり「馬券を買う人の数だけダービー馬が存在する」と言われるだけあって、みなさんそれぞれに『熱き思い』があるようでした。さて、今年はどんなドラマが見られ、どれだけの人の「思い出のダービー」となるのでしょう。
 
 
●藤田アナ
ナリタブライアンの第61回ダービー
 
丁度、ダービーのレポートのため出張になっていました。ナリタブライアンに騎乗する南井騎手が、土曜日の競馬が終わって移動するということで一緒の新幹線に乗りました。栗東での最終追い切り後のインタビューでは南井騎手、かなりの緊張が見られ大丈夫かなと不安に思いましたが、新幹線の中ではリラックスしており、「これは大丈夫だ、勝つだろうな」と思ったのでした。期待通り豪快な勝ち方で、直線大外の伸びは印象深く残っています。
 
 
●小林アナ
一番印象に残っている「ダービー馬」なら、ナリタブライアンですが、「思い出のダービー」となると、やはり1985年(昭和60年)のダービー(シリウスシンボリ)です。
全く競馬を知らなかった私はこの年に入社したのですが、「ダービーだから見学に来るか?」と上司から言われて初めて競馬場に行き、どうせなら初めて馬券を買うレースはダービーにしようと考えていました。とにかく見るもの全てが初めてでしたから、放送席にたくさんの双眼鏡があることが不思議でした。この年のダービーは26頭立てで、26頭がドドーッと1コーナーへ殺到する様にビックリするとともに、「これで馬が見分けられるのか?」と思ったものでした。そしてレースが終わって、競馬新聞の印どおりに買った馬券はみごと的中!まさにビギナーズラックでした。1番人気だったのに連勝複式「4-6」は970円もついて、「500円ずつ5点買って、払い戻しが4850円だから、儲かっちゃたよ!」と喜んだものでした。
 初めてづくしのダービー、一番印象に残っています。あれから28年、「一度26頭立てのレースを実況してみたかったなぁ」と思うときがありますが、きっと今と同じで馬の名前をワーワー言うだけの実況になるから...ダメですね。
 
 
●木和田アナ
1996年フサイチコンコルドの勝ったダービー。
 
当時は関西赴任中だった。ロイヤルタッチ、イシノサンデーとともに早くから期待されていたサンデーサイレンス産駒の一頭ダンスインザダーク。皐月賞を回避し、ダービーへ。そして、武豊騎手の初のダービー制覇がかかっていた。当然、橋口調教師にとっても悲願のダービー制覇。道中のレース運びからも、勝利は間違い無いと思われた瞬間、一頭伸びてきたのがフサイチコンコルド。キャリア3戦目の馬だった。  
この時は、中京競馬場で進行をしていたが、前年にキャリア2戦で英ダービーを制したラムタラの姿とダブり、日本にもラムタラがいたのかと驚いたのを記憶している。そして、勝負事の非情さも。レース後の検量室で、武豊騎手と橋口調教師が並んで、レース映像をいつまでも、いつまでも見つめていた姿が今も忘れられない。
あれから17年。武豊騎手はダービーを4度制覇したが、橋口さんの夢は未だ叶わず。
確か、調教師人生もあと僅かだったような気がする。ダービーの季節になると、モニター画面をいつまでも見つめていた橋口調教師の姿を思い出す。
 
 
●中野アナ
2004年、キンカメのダービー。
 
朝から真夏のように暑かったあの日。コスモバルクに注目が集まり、報道規制などが敷かれる中、涼しい顔で圧勝のキングカメハメハ。ダイワメジャー、コスモバルク、ハイヤーゲーム、キングカメハメハ、人気4頭が直線入り口で横並びという、府中では珍しい激しい競馬。 演出は、ハイヤーゲームの蛯名騎手。彼が早めに仕掛けたことで、こういうレースになった訳だが、そこでひかなかった安藤騎手の強気な態度も、素晴らしい戦いを演出した一因。NHKマイルC優勝直後に「(ダービー)大丈夫でしょ」と語ったことも合わせ、安藤騎手の凄さが浮かび上がった。レベルはともかく、これぞガチンコ勝負。それらを先にやり、後から仕掛けた横山騎手も見事(惜しかった)だったが、あんな激しいダービーは、後にも先にもあのレースだけのような気がする。
 
 
●小塚アナ
★フサイチコンコルド(1996年)
 キャリアの浅い若輩者が思い出を語るのもおこがましいですがご容赦を。昭和の名馬は諸先輩にお任せします。1996年の日本ダービーは、競馬に興味を持って初めて迎えたダービー。当時まだ高校2年生、テレビ観戦でした。競馬初心者でも知っている名前「武豊」が初のダービー制覇なるか?と話題になっていて、1番人気はその武豊騎乗ダンスインザダーク。直線で抜け出して「ああ、武豊がダービーを勝つのだ」と思ったところに外からズドン。3戦3勝のダービー制覇、「音速の末脚」「和製ラムタラ」と呼ばれたフサイチコンコルド。強烈なインパクトでした。素質の高さと体質の弱さ、関西の秘密兵器。古き良き競馬と新時代の競馬がクロスオーバーする時代だったと、今になって思います。ダービーを勝つことの素晴らしさと難しさを、初心者の心にも深く植えつけてくれました。
 
★ディープインパクト(2005年)
 ラジオNIKKEIに転職した年の日本ダービー。実は、日本ダービーを実際に見るのはこの年が初めてでした。次元が違う、というものを生まれて初めて目の当たりにして、ある種の恐ろしささえ感じたのを覚えています。
 
★ロジユニヴァース(2009年)
 この年のダービーの本命はアントニオバローズでした。当日の人気は8番人気。しめしめ。この馬から三連複で流す予定でした。が、当日は土砂降りでどろどろ馬場。マズイと思い、レース直前に重巧者血統のアプレザンレーヴを軸にした馬券に変更。結果は皆さんご存知の通り...初志貫徹していれば。悔やまれます。
 
 
●大関アナ
 大関にとって思い出のダービーを1つ挙げてくれと言われれば、2007年のダービーです。
忘れもしない入社1年目、初めて競馬場に勤務で行ったのがダービーの週末。GIの日の競馬場には1ファンとして何度も行ったものの、スタンドの下から突き上げてくるような大歓声に、それだけで身が震えました。結末も、まさか、牝馬がダービーを勝つなんて!しかも完全に後続をちぎっていく勝ちっぷりに、「入社早々凄いモノを見てしまった。こんな歴史的快挙を見られるとは俺は何て幸運なんだ」と思ったものです。最後の直線、ウオッカが突き抜けていくのを見て、5月末の暑い日だったのに鳥肌が立ち、ゴールの直後隣にいた小塚アナと「まさか...」とお互いあっけに取られたような顔で目が合ったのを今も覚えています。
ちなみに、その時大関が持っていたのはヴィクトリーの単複。田中勝春騎手がダービーを勝つところが見たかったもので...。
 
 
●米田アナ
1位 1994年第61回日本ダービー(ナリタブライアン)
 私が競馬を見始めた年のダービー。ナリタブライアンが大外を回して次元の違う競馬をした。競馬初心者だった私でもその強さが分かるほどのパフォーマンスだった。印象に残るダービーは?と聞かれ、瞬時に思い浮かんだのはこの年だった。それだけレース内容のインパクトが強い。「無人の野を行くが如し」という白川アナウンサーの実況とともに、今では印象に残っている。
 
2位 2007年第74回日本ダービー(ウオッカ)
 まさか牝馬がダービーを勝つなんて・・・。この馬がゴール板を真っ先に駆け抜けたのを目の前で見た瞬間、夢でも見ているのではないかという気分になった。競馬を見ていてそのような気分になることは特大万馬券を当てる以外にはおそらくない。隣にいた知り合いもその強さに「これは恐ろしいことだ」と震えていた。64年ぶりの快挙はそう簡単に目撃できるものではなく、この時代に生きていて良かったと思わせる瞬間だった。
 
3位 2003年第70回日本ダービー(ネオユニヴァース)
 初めて生で観戦したダービーで、当時は大学1年生だった。受験勉強地獄から抜け出し「今年はダービーを観に行くぞ!」と意気込んでいたところ、前々日から熱が出始め、ダービー観戦が危うくなる事態が起きた。しかし、直前まで安静にしていたので、多少のだるさが残る中、何とか当日は東京競馬場へ。いつもの競馬場と雰囲気が違うのが伝わり、「これがダービーの雰囲気か!」と思ったもの。ミルコ・デムーロ騎手のガッツポーズとともにネオユニヴァースが駆け抜けたのを見た瞬間、私のこれまでの苦労が洗い流される気分だった。
 
 
●山本直アナ(新人)
2010年第77回ダービー(エイシンフラッシュ)
 
初めて競馬場で観戦したダービー。最強世代と言われたこの年は逃げ馬不在。ゴールまでの3ハロンが33秒4(11秒3、10秒8、11秒3)という究極の上がり勝負。ほとんどの出走馬がそれぞれの最高速でゴールへ飛び込む光景に、馬券の結果も忘れ、思わず「速い、速い」とつぶやいてしまいました。
平均ペースで地力勝負になった皐月賞、ハイペースが1分31秒4という高速決着を生んだNHKマイルカップ、そしてこのダービーと、展開・流れの面白さを教えてくれたのもこの最強世代でした。
 
 
●「展開シミュレーション」でおなじみの藤巻崇さん
★1992年ミホノブルボン
 一緒に馬券を買いに行った知人が、ライスシャワーから買っていたので、祝勝会の準備をするもミホノブルボンが抜けていてぬか喜びに。
 
★1995年タヤスツヨシ
1~5着までの馬連をBOXで買って、一番安い配当の馬券が当たり。そして、これがダービーで当たった最後のレースに。
 
★1997年サニーブライアン
初めて現地で観戦するも、内馬場で人が多過ぎてコースが見えず、ビジョンで見る羽目に。馬券もエリモダンディーの複勝1点大勝負も4着で悶絶...。
 
 
●月刊誌「馬劇場」の元編集担当で現業務推進部のO部長
1位 第57回(1990年)勝ち馬:アイネスフウジン
  東京競馬場史上、最大の19万人を集めたダービーで沸き起こった「ナカノコール」に参加していた一人。ひとつの競技(レース)でこれだけの人が熱狂して、コーフンするものがあるんだ、というバブル期競馬に見事ハマッてはや20数年...。
 
2位 第58回(1991年)勝ち馬:トウカイテイオー
 無敗のダービー馬誕生の瞬間を生で観戦し、このとき「ゼッタイに死ぬまでダービーは生で観戦する」という決意を固め(当時大学3年)、「毎年ダービーを観るため」就職先は地元に帰らず、東京が勤務地であることを優先して活動し、現在までこの会社...。しかもここ数年ダービーを生観戦できておらず...。
 
3位 第59回(1992年)勝ち馬:ミホノブルボン
もう10年以上肩入れする馬を作らない馬券ポリシーなのだが、ミホノブルボンだけは朝日杯から「距離不安がささやかれようとも買い続ける」という根拠なしに応援しまくった馬。
 
<補欠> 第60回(1993年)勝ち馬:ウイニングチケット
この年は「芦ノ湖、富士山まで走っても、ウイニングチケット、ビワハヤヒデ、ナリタタイシンの3頭で決まり」と自分ダービー史上、いちばん自信のある予想で、今よりも「すんごい買い方」で大勝負していた。今ならせいぜい3頭ボックスで500円ずつかな...。
 
以上、見事に1990年から1年ずつという羅列になりました。つまり私にとって競馬初期に見たダービーのインパクトが今でも大きいという結果です(むしろ最近のダービーは勝ち馬や2着以下もほとんど覚え切れていない)。
 
 
●営業部の期待の若手・競馬通のFさん
ゆとり世代の思い出のダービーは、2007年の第74回ウオッカです。パドックで、一頭だけ脚が長くてスラっとしたモデルのような美しい馬体に衝撃を受けました。
桜花賞も獲れなかった牝馬の挑戦は無謀とも言われていた中で、終わってみればあの豪脚でオトコ馬を蹴散らして、どうだと言わんばかりの圧勝劇に二重の衝撃。その後の活躍ぶりを見ていると、父タニノギムレットが怪我なく走っていたらこれくらい活躍していたのだろうか?とつい想像してしまいます。