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ダービー馬が5年ぶりに登場する今年の菊花賞が、三冠のかかる大一番ということで、僕もそんな菊花賞の思い出を今回は書いてみたいと思います。

 僕がハッキリとテレビで見た記憶のある最初の菊花賞は1992年、ミホノブルボンが三冠をかけて出走した年です。当時小学校3年生(9歳)なのに競馬好きになっていた僕は、「ミホノブルボンがトライアルでも強かったし、あっさり勝つんだろうな」と思いながらテレビに向かっていました。しかし、隣にいた競馬歴約20年の父親は「どんなに強くたって、マグニテュードの産駒に3000mなんて長い。負ける可能性は十分ある」と言っていました。「あんなに強いミホノブルボンが負ける?」と不思議に思いましたが、ご存知の通り、レースはまさに父親の言葉通りの結末でした。リアルシャダイ産駒のライスシャワーが直線でミホノブルボンを差し切って三冠を阻止し、ミホノブルボンはマチカネタンホイザに最後は詰め寄られ辛うじて2着。そこで僕は「三冠」がいかに難しいものであるかと、血統の奥深さを子供心に知る事になったのです。

 と思いきやその僅か2年後、ナリタブライアンという歴史に残る名馬が出現しました。当時小学校5年生(11歳)の自分は当日朝からドキドキしたもので、午後2時30分からずっとテレビの前にかじりつき、今か今かとスタートの時を待っていました。そして、いざファンファーレが鳴ると、父親は真剣な顔でこう言ったのです。「いいか、よく見とけよ。三冠馬が出るところをリアルタイムで見られるなんて、一生のうちに何度もないんだからな!」と。そしてナリタブライアンは圧勝。またしても、レースは父親の言葉通りの結末でした。

 その当時から「三冠のかかった菊花賞」ほど胸が高鳴るレースは無い、と思っていました。大学生になってからはネオユニヴァース、ディープインパクト、メイショウサムソンと三冠達成がかかっていた菊花賞が三度。一度は京都で見たいな、と思っていたものの、菊花賞の頃は青春18きっぷの期間外。貧乏学生の自分は京都までの旅費を出すことを躊躇してしまい、それは実現しなかったのです。

 大学卒業後、想像もしていなかった競馬実況アナという職に就き、入社2年目から早くも菊花賞を現地で見ることになる、というこれまた想像していなかった経験をしました。勿論、現地で見る菊花賞はワクワクするものだったのですが、テレビや東京競馬場のターフビジョン越しに見ていた「三冠馬誕生のかかる」菊花賞と比べると、どこか冷めていたのも確かでした。

 それが今年は違います。菊花賞の週に今年も京都へ出張できると知った時から、1994年の菊花賞当日の朝のような、ドキドキした気分が続いています。関西出張は既にたくさん経験しましたが、こんなに関西に行けることが嬉しく感じられたことが今までにあっただろうか? と思えるくらいです。

 しかも、当日の仕事は午後の司会進行。中野アナのすぐ隣で菊花賞を見届けられるとは! 今の自分にこんなに光栄な事はありません。僕も初めて現地で見る「ダービー馬のいる、それも3冠の期待かかる菊花賞」を、存分に楽しむつもりです。そして、現地の雰囲気を中継を通じて沢山の方々に、少しでも鮮明に感じて頂けるように、しっかりと仕事を務め上げたいと思います。


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