先月2月11日の祝日、「朝カツ!」という特番を担当した。「朝カツ」とは何か?20代の若手を中心に、仕事前の、「朝」の時間を「活」用して、読書会など、志同じ人間同士が集い、お互いを高め合う動きのこと。素晴らしい活動だ。中国に世界第2位の経済大国の座を奪われ、未だに数十年前の、高度成長期の成功体験、バブル経済の幻想から抜け出せないような我が国・日本にありながら、これからを築く若手が、こんな動きを自ら起こしているというのだ。自分も気がつけば30代後半、若く無い若手?の端くれ、負けじと頑張りたい。
ただ、専門家の話では、今の20代、全体的に「良い子でありたい」願望が強く、とんがった、突っ張った人間が中々いないとのこと。とにかく無難に、人から嫌われないように動く子が多いようなのである。そして同じような内面を持つ人間同士で群れたがり、価値観の違う人間は完全に排除してしまうらしい。さらに、上の世代を煙たがり、上司と一緒に酒を酌み交わすなんてありえない、時間の無駄、くらいに考えている子が多いというのだ。これは果たしてどうなのだろうか?非常に残念な気がする。世の中は、様々な価値観を持った人々で構成され、世代間ギャップなど当たり前。これが世の中の現実であり、その中で、どう生きるかが重要なのではないだろうか。周囲への配慮は当然しながらも、自分の意見を持って、それをきちんと主張し、認められ、より良き世界を築くべく努め、実現していくのが人間というものではないだろうか?一応、僕はそう思っている。
だが、プロスポーツの世界に目を向ければ、今の20代、そんな子ばかりでは全く無い気がする。ダルビッシュ有、覚醒した中田翔など個性派揃いの日本ハム、人気の佑ちゃんも、いわゆる前述の20代、一見優等生のようで、芯が強い、さすがの存在であることは、彼の言動からよくわかる。また彼の世代はマー君、マエケン、巨人の坂本など、これまでには無かったほどの人材の宝庫。サッカーに目を向けても、本田、長友など、日本代表を支えるのも20代前半の若手ばかり。さらにアイドルに目を向けても、人気絶頂の嵐、それに続く各グループなど、また役者さんらに目を向けても、素晴らしい人材が揃いに揃っている。日本の、世界の発展のためにも、彼らの邪魔をしないように、大人は生きていかなければならないのだろうくらいに感じることが多い。
そんな素晴らしき若手を数多く目の当たりにしながらも、2歳8ヶ月を過ぎた息子に、誰のようになってもらいたいか?と問われたら、僕は迷わず「孫悟飯」と答える。孫悟飯?誰それ??もしかしたら、そう思う人が多いのかも。それもそのはず。現実の世界にそんな人間は存在しない、彼はアニメの中の人物。ここまで言えば、もうわかるかな。そう、あの世界中で愛読される、我が故郷・愛知県出身の偉大な漫画家・鳥山明さんが描いた「ドラゴンボール」の登場人物である。
今、まさに他局でOA中の「ドラゴンボール改」、セル編もいよいよ終盤。誰より優しい心を持ちながら、それも幼い子供ながら、気がつけば父・孫悟空を抜いて実力NO.1となった孫悟飯。その優しさが、真の力の発揮を皮肉なことに邪魔していたが、怒りにより覚醒し、今まさに大暴れ。幼い頃から非常に可愛らしく、そして最強戦士となった今もなおルックスに恵まれ、さらに将来、美人な奥さんをもらい、かわいい娘を授かり、母親と自分の望み通りに、偉い学者さんになるその人生は、まさに理想的。決して他人を傷つけない、それでいて夢を叶えていくその生き方、これこそ理想的ではないだろうか。
実際の我が息子は……前回、当コラムで、保育園のクリスマス会、せっかくの練習もむなしく、ステージ上で大泣きし、何もできなかった話を書いたが、実は5日(土)に、そのリベンジの機会があった。今度こその思いで迎えた(かどうかはわからない)発表会、息子はまたしてもやってしまった(ようだ)。仕事で中山にいた僕は立ち会えなかったが、妻からの報告では、それはそれは、残念だったよう。間もなく身長100cm、4歳児に交じっても体格負けしない立派な図体を持ちながら、自分よりサイズの小さい同世代の子の中で、一人だけ大泣き。「いやだー」「ママー」と泣き叫び、周囲の失笑をかっていたとのことなのだ。先生からは「みーくん(息子の呼び名)パパ、発表会来られないなんて残念ですよ。今度こそ、普段の凄いみーくんを見てもらう絶好の機会なのに」と迎えに行く度に言われていたのだが、そんな力を発揮することなく、終わってしまったよう。子供の頃から、この手の物が得意だった両親の間に生まれたにもかかわらず、本番にまるで弱い息子になるとは……だが、これが現実、息子の今の実力はこんな物なのである。それを受け入れて、認めて、彼をこれからも応援したい。「いつかは悟飯ちゃんのようになれればいいね」そんなことを思いながら、父子2人でその夜はラーメン屋へ。「おーいしー!」そう言ってラーメンをすする息子の笑顔に、仕事の緊張感から解かれた自分は、心底癒された。これで十分。それに彼の人生は彼の物、理想像なんて勝手に言ったが、そんなもの、彼には関係無い。彼は彼らしく、生きればいいのだからね。
さて、理想の息子が「孫悟飯」なら、我が妻は、まさにその母「チチ」を地で行っている。この後、教育ママになるかどうかはわからないが、ルックス、気の強さ(夫への態度?)などは、「チチ」そのもの。ドラゴンボールの実写版に、「チチ」を登場させるなら、迷わず妻を推薦したいと思う(怒られそうだが)。
あと1ヶ月ほどで、そんな妻が、2人目の子供を出産する。「孫悟飯」の次ゆえ、今度は「孫悟天」か?(これこそ、わかるかな?)お腹の中でのヤンチャ振りからは、そんな子が出てきそうな予感がする。中野家は賑やかになること間違いなし、新たな生活を楽しんで行きたい。
そして自分も、ここまで書いたのだから、「孫悟空」のように、年をとっても、いつまでも、自分が「強くなるため」上昇志向たっぷりに生きていかねばと思う。そして死の直前になっても、自分を犠牲にしてでも、周囲を守れる真に強い存在になれるよう頑張りぬきたい。
これを書いている今は弥生賞が終わった日曜夜、相変わらずビールが美味い、グビグビ行ってしまう。そして酔っ払いながら、また長々と書いてしまった、次は来週号の競馬ブックのコラム、さて、何を書こうか。
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