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先週の日曜夕方、いつものように競馬場から「ただいま」と帰宅すると、息子を抱えた妻が玄関までお出迎え。この光景は、いつもでは無いけど、日々よくあること。ところが、息子がその手に、何かを掴んでこちらにやってくる。その点が、いつもと違う。

「何だ??」と思うと、妻が子供に「みーちゃん(子供の呼び名)、パパに渡して」と一言。当然、意識して渡せるような年齢では無いので、僕がそれを、息子の手からとると、“I LOVE PAPA”と書かれたシールの張られた包み。「この子から、パパへのプレゼントだよ」と妻。それでも「何?何で??」だった僕だが、妻から「今日は父の日、この子からのプレゼントだよ」と言われ、ようやく意味が理解できた。

“父の日”と言えば、自分にとっては、自分が名古屋(出身地)にいる実の父に、何かを送る日だとばかり思い込んでいたが、こうして逆に、何かを貰える立場になった、自分が人の“父”でもあるということを、あらためて、違う形で認識させられた瞬間だった。

と同時に、メチャクチャ嬉しかった、何だか。言葉にはちょっとしづらいものがあるけど、これまで感じたことの無い喜びに満たされる自分が、そこにいた。

あらためて思う、家族のありがたみ。その昔、と言っても20年くらい前の話、まだ実家にいた頃、初めて母の日に、少ない小遣いから安いカーネーションの花束を買ってプレゼントした時の母の喜びようや、父の日だったか、誕生日だったかは覚えてないけど、父にライターを送ったら、それを嬉しそうに携帯してくれていた時のことを、ふと思い出した。

親と子の、立場が変わってわかることを、また経験させてもらった、貴重な父の日だった。そういう気遣いをしてくれた妻に、あらためて感謝。逆に、先月の母の日に、そういう心配りができなかった自分を、猛烈に反省させられた。さりげない心配りが、どれだけ人を幸せにできるかということを、学ばせてもらった気がする。

いつの日か、息子が自分の意思で、僕にプレゼントをくれたりしたら、一体どんな気持ちになるのだろうか?前述の、父や母が感じたような気持ちを、初めて実感することになるのだろうけど、それはまた、その時の楽しみとして、とっておきたいと思う。ま、しばらく(相当な年月)は無いだろうし、その間に、逆に自分が、そういうことをひたすら子供に対してすることになるのだろうけど。

今週末は宝塚記念、1年前のその週明けに、息子はこの世に誕生した。関東での出産だったが、念願の立会出産も叶い、僕がいる時に生まれてきてくれた息子も、間もなく1歳。この間、親バカをネタにコラムを書き続けてきた僕。最近では、つかまり立ちもハイハイも完璧にできるようになり、はっきりしないまでも、言葉も話せるようになった息子の成長には、驚かされることばかりである。

成長の連続、成長しかない彼を見ていると、果して自分はどうなのか?と、たまに考えさせられる。彼にとってはもちろん、妻にとって、家族にとって、恥ずかしくない父親、人間でなければと強く思う。日々精進あるのみ、ですね。


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