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2003年3月3日。足利競馬場が歴史に幕を降ろしました。中津、新潟、益田と続く廃止の波はとめどなく続き、足利も飲み込まれてしまいました。地元の連合会が始めてから73年、市営競馬としては53年、半世紀を超える歴史を持つ足利競馬は、2度と行われることはないでしょう。
栃木県足利市の足利競馬場は、渡良瀬川の河川敷にあるこじんまりとした競馬場です。時の流れを感じるスタンドも、その役目を終えました。

足利競馬場の外観

足利競馬場の外観


33年の歴史を誇るスタンド

33年の歴史を誇るスタンド


この日は雨の予報。月曜日でもあるし、最後を飾れるほど盛り上がるのだろうかと、若干の不安を感じながら車で競馬場へ向かいました。開門前、正門と西門に合わせて20人ほどが並んでいました。朝方は人の姿もまばらで、最終日とは言え、朝から駆けつける熱心なファンは多くありませんでした。

並んでいる人の中には遠くから来た人も

並んでいる人の中には遠くから来た人も


最後の開催を伝えるポスター

最後の開催を伝えるポスター


ポスターの隣りにあった張り紙

ポスターの隣りにあった張り紙


こじんまりとした場内ビジョン

こじんまりとした場内ビジョン


現在のスタンドは昭和44年に建てられたもの。競馬場に展示されていた昭和44年8月13日の下野新聞のコピーによれば、当時、足利市は総工費7億9000万円全額を銀行から借り入れて、競馬場を作ったとの事。市の関係者は「財源を確保し、競馬以外のときは、澄んだ川風の中で健康な市民をつくりたい」と話しており、昭和25年に始まった足利市営競馬は、「市の財政を潤す市営競馬(昭和27年3月の広報)」として、行政に歓迎される存在であり続けていました。
最盛期には1開催の売上げが13億円を超し、1日で1万4000人が詰め掛けた事もありました。ところが全国の競馬場同様、バブル崩壊後に売上げが下降線を辿り始め、平成8年からは市のお金を繰り入れる様になりました。そして、今年度一杯での廃止に追い込まれました。
正直なところ、この競馬場に1万人を超える観客が溢れていたとは想像出来ません。最終日の入場者数は2535人。それでも小さな食堂は人に溢れ、馬券を買うのに締め切りに間に合うか心配するほどでした。築33年のスタンドは薄汚れていました。とても売上げの大きかった時代に設備投資したとは思えません。

平成元年の中央騎手招待での一枚

平成元年の中央騎手招待での一枚


29連勝を記録したドージマファイターの引退時のゼッケン

29連勝を記録したドージマファイターの引退時のゼッケン


小さな小さなパドック

小さな小さなパドック


男性アイドルと近所の子供達

男性アイドルと近所の子供達


当日は、足利の歴史を振り返る写真や新聞記事の展示、出店、男性アイドルや落語家の公演など、数々の企画が催されました。また、ラジオたんぱのレースアナウンサー養成講座出身者による実況、宇野アナと矢野アナによるリレー実況なども見所の一つで、大トリの足利記念は、地元の場内実況の顔、藤アナウンサーによる実況で締め括られました。

天井から吊り下げられた実況放送席

天井から吊り下げられた実況放送席


朝から涙が滲んでいた藤アナウンサー

朝から涙が滲んでいた藤アナウンサー


場内実況担当の大川アナウンサー

場内実況担当の大川アナウンサー


たんぱの宇野アナも大活躍

たんぱの宇野アナも大活躍


利記念は、スタンドが新設された昭和44年に始まった、伝統の重賞で、今年で33回目。なんとか地元の馬に勝ってもらいたい気持ちもありますが、高崎からも強豪が参戦し、混戦ムードです。

宇都宮の快速馬トウショウゼウス

宇都宮の快速馬トウショウゼウス


高崎の古豪サンエムキング

高崎の古豪サンエムキング


唯一の足利生え抜きミホノコトブキ

唯一の足利生え抜きミホノコトブキ


足利の長距離砲シンボリメロディー

足利の長距離砲シンボリメロディー


人気は高崎のサンエムキングが中心ですが、同じ高崎のサンクスメモリー、距離が心配もスピードならメンバーで一番のトウショウゼウス、内田利雄騎手が跨り距離が伸びて期待のシンボリメロディー、デビューから足利で活躍しているミホノコトブキあたりが、注目を集めました。
藤アナウンサーの涙で声を詰まらせながらの実況に後押しされて、勝ったのは地元・足利のシンボリメロディー。派手好きの内田騎手、面目躍如の瞬間でもありました。

足利記念のゴールの瞬間

足利記念のゴールの瞬間


歓喜の口取り写真

歓喜の口取り写真


同期の長島師と内田騎手

同期の長島師と内田騎手


最後はファンがコースを歩いて締め括り

最後はファンがコースを歩いて締め括り


この日のハイライトは表彰式。廃止を決断した市長が「断腸の思いで廃止を決断し・・・」と挨拶を始めると、場内のあちらこちらのファンから、激しく罵声が飛び交いました。市長がマイクを通して話している声が掻き消されるくらいの野次の嵐。競馬が好きな人達がこれだけ大勢いるかと思うと、寂しい気持ちも少しだけ和らぎました。

「幕引きのこの開催だけは自分でやりたくなかった」と語る事業課長の小島國二さんもいれば、「開催がなくなったって場外があるから変わらないよ」と話す予想屋さんもいます。宇都宮競馬場が近くにあり、宇都宮競馬の分場として存続する、今回の足利競馬の廃止は、中津、益田、新潟のケースとは、やや違う印象です。足利競馬場は今後、宇都宮競馬の場外馬券売り場となります。廃止が噂される競馬場がまだまだあります。不景気に原因を求めれば廃止が簡単になってしまう御時世。これ以上廃止が続かない様に、力になりたいとの気持ちを新たにした一日でした。


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