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松山吉三郎氏(享年89歳)は12月20日(水)午後5時10分、病気加療中のところ逝去された。

松山吉三郎氏略歴

大正6年2月2日生まれ(89歳)
出身地 鹿児島県
昭和4年 騎手見習 (目黒競馬場・尾形藤吉厩舎)
昭和9年 騎手 (東京競馬場・尾形藤吉厩舎)
昭和11年 騎手 (鳴尾競馬場・松山徳蔵厩舎)
昭和13年 騎手 (東京競馬場・尾形藤吉厩舎)
昭和25年8月10日 調教師免許取得(東京競馬場)

初出走 昭和26年1月5日(中山) 2Rヤシマザクラ・10着
初勝利 昭和26年5月12日(中山) 2Rヤシマザクラ・延べ28頭目

表彰 優秀調教師賞(関東)12回、調教技術賞(関東)9回、重賞獲得調教師賞1回

成績 9157戦1358勝 (昭和29年以降の中央競馬成績)
重賞勝利 55勝
8大競走勝利 ダービー(昭和37年フエアーウイン、昭和61年ダイナガリバー)
 桜花賞(昭和27年スウヰイスー)
 オークス(昭和27年スウヰイスー、昭和35年スターロッチ)
 天皇賞・春(昭和34年トサオー、昭和57年モンテプリンス、昭和59年モンテファスト)
 有馬記念(昭和35年スターロッチ、昭和61年ダイナガリバー)

●勝利数第2位
 1358勝は尾形藤吉調教師の1670勝に次ぐ、JRA史上では最多勝利記録の第2位。

●重賞勝利ランク
 重賞55勝は、ディープインパクトの池江泰郎調教師の58勝に続き第8位。1位は尾形藤吉調教師の189勝。

●リーディングトレーナー
 昭和54年37勝、昭和58年33勝、昭和60年32勝で関東リーディングトレーナーに3回輝いている。

●ダービー親子2代制覇
 次男の松山康久調教師はダービーを昭和58年ミスターシービー、平成元年ウィナーズサークルで2勝しており、ダービーでは唯一の調教師親子制覇例である。しかも、それが親子共に2勝とは、まず今後も破られないであろう大記録である。

●顕彰者
 平成16年、JRA創立50周年を記念して尾形藤吉、藤本冨良、武田文吾、稲葉幸夫、二本柳俊夫、久保田金造の各氏とともに調教師部門の顕彰者に選考された。翌年の天皇賞(秋)当日は、東京競馬場メモリアルスタンドで天皇皇后両陛下をお出迎えされた。

●日本プロスポーツ大賞受賞
 1992年度スポーツ功労者の文部大臣顕彰を受けられた。

●2頭揃っての引退式
 昭和58年1月15日、中山競馬場で松山吉三郎厩舎所属の僚馬である「太陽の帝王」モンテプリンスと「白い稲妻」シービークロスの引退式が行われた。ゴールでは馬体をあわせてゴールイン。その決勝写真を見ると、モンテが少しだけシービーをおさえていた。
 両馬とも主戦騎手は、今年9月11日に亡くなった吉永正人騎手だった。

●海外遠征
 昭和42年5月14日、ブラジルのサンパウロ大賞に出走したハマテッソ(11着)は松山厩舎所属馬。ハクチカラから数えて6頭目の日本馬の海外挑戦だった。

●父子でダービー出走を果たした調教師
 ミスターシービーが勝った昭和58年ダービーにプラウドシャダイ(15着)を出走させており、親子で同じダービーに出走するという珍しい記録も残している。これは、昭和52年に尾形藤吉・尾形盛次親子の例があるぐらい。

●引退式
 平成6年2月27日、中山競馬場で佐藤嘉秋調教師、矢野幸夫調教師とともに引退式を行った。

 松山吉三郎氏の逝去にあたり、次男の松山康久調教師が談話を発表した。
「父は、一生涯、馬一筋の人生でした。戦前・戦中・戦後を通して、数多くの名馬に囲まれ、ダービーをはじめとする素晴らしいレースをいくつも勝てたことは、とても幸せだったと思います。
 このような馬人生を全うできたのは、馬主さんや生産者の皆さんをはじめ、たくさんの競馬関係者の皆様に応援していただいたおかげと、大変感謝しております。
 本当にありがとうございました。        松山康久」

(JRA報道室、社団法人日本調教師会関東本部の発表による)


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