ジャパンジョッキーズC(盛岡)、Team JRAが3年ぶりに優勝 [News] [News]
2018/07/16(月) 19:18

16日、盛岡競馬場では、中央競馬と地方競馬の騎手12人が出場したジャパンジョッキーズカップ2018が行われた。ジャパンジョッキーズカップでは、12人による個人優勝を目指した争いと、Team JRA、Team EAST、チームWESTによる3つのチームに分かれての対抗戦が行われた。

JRAからはキャプテン内田博幸騎手、戸崎圭太騎手、福永祐一騎手、クリストフ・ルメール騎手が出場した。Team EASTはキャプテン山本聡哉騎手(岩手)、桑村真明騎手(北海道)、矢野貴之騎手(大井)、藤田弘治騎手(金沢)、そしてTeam WESTからはキャプテン山口勲騎手(佐賀)、岡部誠騎手(愛知)、永森大智騎手(高知)、下原理騎手(兵庫)が出場した。

第1戦(ダート1200m)はヒライズミナンバーに騎乗した下原理騎手が勝利。第2戦(芝1700m)はコアレスフェーブル騎乗の福永祐一が勝利。そして第3戦(ダート1600m)は岡部誠騎手がキングジャガーに騎乗して勝利した。

この結果、個人戦では3着、2着、3着の成績を残したJRAの内田博幸騎手が優勝。また、チーム対抗戦では、個人優勝した内田博幸騎手がキャプテンとして率いるチームJRAが、2015年に続いて2回目の優勝となった。

内田博幸騎手のコメント
「3戦でひとつ勝ちたいなとも思いましたが、チームへ貢献できたので良かったです。何より盛岡のファンの皆さんに、いいレースをみせられることができて良かったです。参加しているすべてのジョッキーが素晴らしい技術を持っているので、今回は私が優勝しましたが、枠順やその日の馬の体調などによって結果は変わると思っています。また、チーム対抗で戦う経験はあまりないので、勉強になりました。Team JRAが優勝賞金としていただいた100万円は、西日本で大雨の被害に遭われた方に寄付することを、メンバーと相談して決めました」

(取材:小屋敷彰吾)

【マーキュリーC】(盛岡)~ミツバが差し切り連覇達成 [News] [News]
2018/07/16(月) 18:39

16日、盛岡競馬場(曇 良)ではダートグレード競走の第22回マーキュリーカップ(JpnIII、ダート2000m)が行われ、JRAの2番人気ミツバがゴール前差し切り、連覇を達成した。

スタンド前で先手を奪ったヨシオがレースを引っ張る展開。ミツバは好位グループの後ろを追走し、勝負どころではフェニックスマークと並んで外から進出。直線はヨシオが振り切ろうとするも、ミツバがジワジワと差を詰めてゴール前でとらえた。勝ちタイム2分3秒5、勝利騎手は松山弘平(JRA)。2着に4番人気ヨシオが粘り、1番人気フェニックスマークは3着。ここまでをJRAが占め、地方勢はドラゴンエアル(北海道)の4着が最高着順だった。

ミツバは父カネヒキリ、母セントクリスマス(母の父コマンダーインチーフ)、牡6歳鹿毛馬。JRA栗東・加用正厩舎の管理馬。通算成績38戦10勝(うち地方6戦2勝)、重賞は去年のマーキュリーC以来、2度めの制覇。マーキュリーCの連覇は1999年と2000年のオースミジェット以来、史上2頭目となる。

レース後のコメント
1着 ミツバ(松山弘平騎手)
「今日は昨年以上の強さを見せてくれました。スタートはあまり速くない馬なので、先行馬の後ろに取り付く形になりました。道中のペースが遅いと感じ早めに動いて行って、最後まで長くいい脚を使ってくれました。道中の行きっぷりも段々とよくなってきて成長を感じます。気分屋なところがあるのでその時の馬の状態にもよりますが、どんな条件でもこなしてくれます。これからも強い競馬ができるよう頑張りますので、応援よろしくお願いします」

2着 ヨシオ(戸崎圭太騎手)
「この馬のしぶとさを活かした競馬ができました。よく頑張っていました」

3着 フェニックスマーク(横山典弘騎手)
「3着にきていますし、よく頑張っています。奥手な馬なので、大事に乗っていきたいですね」

4着 ドラゴンエアル(服部茂史騎手)
「門別で厳しい競馬をしていたこともあり、楽についていけました。仕上がりも調子も良かったです。最後は瞬発力の差で負けましたが、5着馬を交わせたことは収穫でした」

5着 マイネルバサラ(柴田大知騎手)
「早めにとらえにいきましたが、久々の分もありとらえられませんでした」

6着 ザイディックメア(和田竜二騎手)
「初めての地方のコースでしたが、こなしていました。4コーナーでついていけなくなったので、そこでついていけるようになるとさらに良くなると思います。落ち着いていますし、良い馬ですね」

7着 エンパイアペガサス(菅原俊吏騎手)
「位置取りは思ったところを取ることができました。ただ、勝負どころでついていけなくなりました」

(取材:小屋敷彰吾)